美人画で有名な東郷青児、
私生活でも美女にモテていた?
東郷青児は、鹿児島生まれの洋画家です。フランスで修業して西洋絵画を学び、美人画を描いて一世を風靡しました。
東郷青児といえば、女性スキャンダルで有名です。3度の結婚と多くの愛人で知られ、内縁の妻であった作家の宇野千代は、東郷青児の心中未遂事件をモデルに『色ざんげ』を書きました。美術界の太宰治ですね。
また、東郷青児は竹久夢二の影響も受けています。画学生だった頃、竹久夢二の妻が運営する「港屋絵草紙店」で、夢二の絵の写しを描くアルバイトをしていたのです。夢二本人との交流は少なかったそうですが、美人画で人気となり、多くの女性と浮き名を流したところはよく似ています。
1916年に二科賞を受賞した《パラソルさせる女》は、ピカソのキュビスムの影響を受けた、当時の日本では斬新な作品でしたが、これはまだフランス留学前の東郷が竹久夢二の絵の写しを描いていたときのもので、夢二の影響が見られます。
ゴッホ《ひまわり》の所蔵で有名なSOMPO美術館は、設立時の名前は東郷青児美術館でした。母体である安田火災がパンフレットやカレンダーの絵などを東郷青児に長年発注していた関係で、その自作やコレクションの寄贈を受けて美術館を設立したのが始まりだったからです。