なぜ伊東深水は国民的画家になったのか?
浮世絵の伝統を継ぐ美人画の大家

伊東深水は、大正昭和期の日本画家です。歌川派浮世絵の正統を継いでおり、日本画独特の柔らかな表現による美人画で有名です。


あまりにも「美人画」の人気が高かったため、それ以外の画題を描きたくても注文が来ない時期が長くありました。戦後も「美人画」の人気は衰えず、多くの作品が版画として頒布されるようになりました。


伊東深水は、本名を伊東一といい、明治31年に東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれました。貧困のため小学校を3年で退学後、看板屋の丁稚奉公や活字工として働きました。その後、10代前半から日本画を習うようになり、昼に働き夜は絵を描くという生活を続け、徐々に人気を得ていきました。


伊東深水の師匠は、鏑木清方(かぶらききよかた)です。その師匠をさらにたどると、江戸時代の浮世絵師、歌川国芳に至ります。鏑木清方は、女性画家の上村松園と並んで「西の松園、東の清方」と称されるほどの巨匠でした。その師匠の跡を継いだのが伊東深水です。


伊東深水の活動は日本画だけにとどまりませんでした。新版画運動にも参加して、版画家としても名を残して、1972年に世を去りました。娘はテレビでも活躍した元宝塚女優、朝丘雪路ですが、彼女も2018年にすでに逝去しています。


伊東深水の絵はとても人気があったため、彼の死後も版権所有者が複製画をたくさん作って頒布しました。そのため、市場に出回る作品数が多くなり、おおぜいの人が入手して、自宅で鑑賞できるようになりました。こうして伊東深水は国民的画家となったのです。

伊東深水《爪》1936年

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