アンリ・マティス
高価買い取りができる理由
「ダンス」などの代表作で知られるマティスの、リトグラフをはじめとしたオリジナル版画などを中心に取り扱い販売してきました。
今の時点でも翠波画廊のお客様の中にはアンリ・マティスの作品をお探しの方が多くいらっしゃいます。
お客様から買取させていただいたアンリ・マティスの作品は翠波画廊にとって重要な仕入れです。
只今アンリ・マティスの買取りを強化しております。査定は無料、メール、LINEでも承っておりますので、ぜひご相談ください。
買取の仕組み
セカンドマーケット(二次市場)で売り買いのできる美術品にはおおよその相場があります。
作品相場は専門業者だけが参加できる交換会(オークション)で需要と供給の関係によって決まります。
私たち美術商が売り買いする時の値段、業者が仕入れをする時の判断基準は交換会で取引された価格が基準となります。
創業34年の実績
創業以来、自社店舗にいらっしゃるお客様、取引のある全国の百貨店を通して数多くのアート作品を販売してまいりました。
翠波画廊 東京店
信用をなによりも大切に
海外の画家や鑑定家と直接連絡を取り、作品の真贋には細心の注意を払い、本物だけをお届けしてまいりました。
翠波画廊 大阪店
ご相談・査定無料
3つの約束
約束
1
小売りで培った、
まごころの接客
絵をお買い求めいただくお客様、絵をお売りになりたいお客様共にご満足いただけるよう、お客様第一で活動しております。
約束
2
長年の実績から
相場に基づいた適正な査定
年間1500点ほどの作品を販売していく中で同数の作品の仕入れを行っております。仕入れで養った相場観をいかして適正な査定価格を出させていただきます。
約束
3
大切にされてきた
作品を
次のお客様へと橋渡し
家で大切にされてこられた美術品を大切にしてくれる次のお客様へと橋渡しさせていただきます。
版画作品の査定ポイント
翠波画廊では版画も高価買取させていただいておりますが、版画作品の場合、経年による色の退色、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などマイナスの査定になってしまいます。薄いシミなどは画像だけでは分からないことがあります。画像をお送りいただいた段階で相場をお知らせさせていただき、問題が無ければそのお値段で買取させていただいておりますが、作品を見せていただいてシミなどが見つかった時には価格が下がってしまうこともございます。
<高価買取対象図柄一例>
女性像、室内画、静物画など
マティスの自筆サインが入った作品など
<技法>
リトグラフ、銅版画など
<保存状態>
折れや汚れ、経年による退色や、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などは価格が下がります。
翠波画廊では、マティス作品の販売も行っております。
マティスの絵画・版画作品のご購入をお考えの方は、お気軽にご相談ください。
販売作品一覧はこちら
3つの安心
安心
1
ご相談、
お見積もりなど、
査定は無料
今の相場を知りたい、買取価格を知ってから売却を検討したい等、お気軽にご相談ください。ご相談は無料です。
安心
2
8日以内なら
キャンセル可能
(出張買取時)
8日以内でしたら、買取キャンセル、返品の対応をさせていただきます。(店頭買取の場合は対象となりません)
安心
3
個人情報保護
セキュリティ管理
翠波画廊では、しっかりとしたセキュリティ管理のもと、お客様の大切な個人情報の徹底管理を義務付けております。ご安心ください。
アンリ・マティス 絵画買取の流れ
STEP1
無料査定お申込み
STEP2
査定結果のご連絡
STEP3
買取方法の選択
STEP4
お支払い
ご相談・査定無料
アンリ・マティス 略歴
HENRI MATISSE
1869年 | アンリ・マティス、北フランスのカトー=ガンブレジーに生まれる。 |
---|---|
1887年 | パリへ出て法律の勉強を始める。 |
1888年 | 法科適格試験に合格する。 |
1889年 | 法律事務所の見習生となるためサン・カンタンへ戻る。またその傍ら、カンタン・ラトゥール美術学校の朝のデッサンコースへ通う。 |
1891年 | 法律を捨て、画家になることを決心し、パリのアカデミー・ジュリアンに入学。 |
1892年 | アカデミー・ジュリアンをやめる。マティスはエコール・デ・ボザールのモロー教室でルオー等と知り合う。この頃より1894年にかけて、モローの奨めによりルーヴルに通い多くの模写を行う。 |
1896年 | ソシエテ・ナシオナル・デ・ボザール展に4点の作品を出品。そのうち「本を読む女」は国家の買上となり、ランブイエ城に飾られた。また同展の準会員に推挙される。 |
1900年 | 経済的に困窮する万国博覧会のためのグラン・パレの装飾を請け負う。夫人はシャトーダンに帽子店を開き生活を助ける。 |
1901年 | シニャックの主宰するアンデパンダン展に出品する。 |
1902年 | 経済的困窮はさらに深刻となる。 |
1903年 | サロン・ドートンヌ設立。最初の版画作品を制作する。 |
1904年 | ヴォラールの画廊において最初の個展が開かれる。 |
1905年 | ドラン、フリエス、マルケ、ピュイ、ルオー、ヴラマンク等がサロン・ドートンヌの同じ部屋に作品を展示。フォーヴの誕生。 |
1906年 | アンデパンダン展に「生きる幸福」を発表。最初のリトグラフおよび木版をてがける。 |
1907年 | 「青い裸婦」を制作し、同年のアンデパンダン展に出品。 |
1909年 | フェリクス・フェネオンの仲介でベルネーム=ジュンヌ画廊と最初の契約を結ぶ。 |
1910年 | ベルネーム=ジュンヌ画廊において大規模な回顧展。 |
1913年 | ベルネーム=ジュンヌ画廊で滞モロッコ作品の展覧会を開く。 |
1914年 | ベルリンで回顧展が開かれるが、第一次大戦勃発により会場は閉鎖される。 |
1918年 | ポール・ギョーム画廊においてピカソと二人展(カタログ序文はアポリネールが書く)。 |
1921年 | ピッツバーグで開かれたカーネギー国際展に招待される。 |
1922年 | リトグラフをはじめる。この一連のリトグラフ作品は1925年の「縞模様のパンタロンのオダリスク」においてその頂点に達すると言われる。 |
1930年 | カーネギー国際展の評議委員としてアメリカへ招かれる(この年の大賞はピカソが受賞)。 |
1931年 | ニューヨーク近代美術館においてアメリカにおける最初の大規模な個展が開かれる。フランス国立美術館に素描6点を寄贈する。 |
1934年 | 「ユリシーズ」のための版画を制作する。 |
1937年 | ショスタコヴィッチ音楽、マッシン振付けによるバレー<赤と黒>の衣装および舞台デザインを依頼される。 |
1942年 | 「シャルル・ドルレアン詩集」の挿画を制作。ピカソと交友。互いに作品を交換する。 |
1943年 | ヴァンスの別荘に移る。この頃より、切り絵細工を始める。 |
1945年 | ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館において、ピカソ・マティス二人展が開催される。 |
1947年 | 制作に3年かかった「ジャズ」がテリアードの編集により出版される。主要作品が、新しく建ったパリ国立近代美術館に入る。 |
1949年 | ヴァンスのロザリオ礼拝堂着工。コーン・コレクションがボルチモア美術館に入る。 |
1951年 | 東京国立博物館、ニューヨーク近代美術館においてマティス展が開かれる。 |
1952年 | 故郷のル・カトーにマティス美術館が開館する。切り絵「ブルー・ヌード」の連作を制作する。 |
1954年 | ニューヨークにおいて展覧会。ユニオン・チャーチのバラ窓をデザインする。 |
1954年 | 11月3日、ニースで死去。 |
買取ジャンル
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